Life-ism

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養生日記

昨日、山キャンプから戻った。(キャンプの詳細は後日。)

登山を楽しめたのは、2日間であわせて3時間ほどだった。本当はもう少し歩く予定だったけれど、登山の途中で夫の体調が悪くなって(=キジ撃ちできるスペースのない登山道で、夫が腹痛に見舞われた)下山することに決めた。おかげで体力を消耗せずに帰宅でき、その日のうちに装備を全部片付けられた。

やっぱり山は最高だった。特別何もしていなくても、山の中で過ごしているだけで生命力が高まるのを実感した。

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真っ暗闇のテントの中、暖かいダウンシュラフにくるまれながら、なぜか死への恐れ(メメント・モリ)について考えていたときに、ふと浮かんできたこと。忘れないように書き残しておく。

「私の胸の中に、神様の一部がある。神様の一部とは、別の言葉で、善意ともいい、たましいともいい、命ともいい、宇宙のエネルギーともいう。私の中の神様が、いつでも私と一緒にいて、どんなときも、そのときの私に必要なことが起こり、必要な何かが与えられる。だから、すべて神様(宇宙のタイミング)にまかせていればいい」

このことは、神やハイアーセルフなどの<大いなる存在>について述べたあらゆる本に書かれているので、私は知識として知っていたけれど、腹まで落ちていなかった。けれど、その夜は、そのことについて全身全霊で納得がいった。その瞬間、あれがやってきた。

昨年のちょうど今頃に受けた施術によって体感した、あの素晴らしい感覚。

何の悩みも心配ごともなく、どんなことを口走ろうがどんな行動をしようが、周囲から無制限に愛されていた幼い私が日々感じていた、「何も変わらない」というどっしりとした安らぎと、自由でのびのびとした感じ。

シュラフの中の両方の手のひらがポカポカと熱を発している。さっきまで感じていた空気の冷たさよりも、自分のからだが発する熱の方が圧倒的に大きくて、大丈夫、何の心配もいらない、という不思議なほど安定した、あの感覚。

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その魔法は、翌日にはすっかり解けていた。

2日間のキャンプ生活で溜まった肉体の疲労によって、思考の余裕が乏しくなった私は、帰宅してからほんのちょっとしたことで夫と久しぶりに口喧嘩をした。まあ、所詮人間だもの(苦笑)。悟りが永遠に続いたら、仏だわよ。